銀座でやっていたときから
ずっと 観たかった
映画『ぼくたちのムッシュ・ラザール』を
川崎市アートセンター アルテリオ映像館で
観てきました。
いい 古舘寛治さま
みたいな 風貌、
「ラザールは『幸運』」、
この 予告職人の映像
だけで 泣けてしまう・・・。
「新聞で読んで 来た」「お役にたちたくて」
というのは 本当に 真実
なのでしょうね。
「この すみれたちが 枯れないようにしよう」
と、
教師だった妻が殺され、愛する子どもたちを殺され
自分だけ 残されてしまった。
幸せを運ぶ 役割が 完全にできないまま
「難民だから」と 学校現場から排除される ムッシュ・ラザール。
でも「何も言わずに去るのは、自殺と同じだ」と
最後の授業で 披露する 自作の
「不公平」をテーマとした寓話の
さなぎと木の物語
が もう・・・。
さなぎを守りきれなかった 蝶になる姿を 見れなかった
木の悲しみは
裏をかえせば
この教室にいる さなぎの 子どもたちへ
「守りたい、と思ってくれている 沢山の大人に出会って
蝶になる きみたちは
自分から 絶対に 死んではいけない」
と 言っているようでした。
それを一番、教えたかったのだ、と。
(校長の、教職免許を調べないでムッシュ・ラザールを採用した責任の重さは さておき)
永住権がないから
難民だから
何なのでしょうか。
「生きる」ための「教育」は
すみれたちを 枯らさないようにするのは
「永住権のある、教職免許のある人」や
「カウンセラー」しか できないのでしょうか。
愛する人との道が 突然
もっとも不幸な形で 断絶された
そんな お互いだったのに。
現場を見てしまった 女の子 アリスは
「教室で自殺するのは、暴力だ」、
その日はパイロットのお母さん(片親)がいなくて どんなに苦しかったか、
と 吐露する。
「子どもよりも大人が傷ついていると思います」
と 言った女の子も いたけれど
子どものケアだけではなく 大人もケアが 本当は必要だけど
苦しむ大人が 苦しむ子どもの ケアをしなければいけない現実、というのが ほとんどだと思う。
母校でも 4月の新学期、
先生ではないけれど 生徒が転落、
それを ひとりの先生が その瞬間 見てしまったそうで
他にも 見た人、介抱した人、いたと思う。
ペンキを塗り替えても、消すことができない、
みんな苦しい中 自分を責めてしまった人も いただろう。。。
「生徒に触れてはいけない」という規則ができたのは、
自殺した先生が シモンという男の子を ハグしたのを
シモンが拒絶し 「キスされた」と 言いふらしたから
なのか
その前から あったのか わかりませんでしたが
生徒に触れることは 「判断ミス」なのか、
学校という場であっても「正解」がどこにもない。
ムッシュ・ラザールが
「規則違反ですが アリスはひいきの生徒です」と アリスの母親に言ったり
最後 別れを知った 涙目のアリスを ハグする
ことも
学校現場では「不正解」と 言われてしまうのかもしれない。
だけど アリスは
ムッシュ・ラザールに 救われて
「大人向けの本だけど 君なら読める」と 言ってもらったときの
誇らしい顔、
これがもう アリスとムッシュ・ラザールにとっての「正解」だと 思いました。
最終的には 仲良しだった シモンと また 前のように じゃれあえるようになった アリス。
シモンとピーナッツを食べあう 小鳥のような かわいらしさ。
そんな アリスの表情が 素晴らしすぎて
心を 掴まれまくりでした。
ところで ムッシュ・ラザールが
丸く並べてあった 机を
いわゆる普通の日本の教室のように まっすぐにしていた
ので 思い出しましたが
わが母校の 中学の英語のクラスも 丸く机を並べて
イヤだったなぁ。。。
教育は 近代的だから いい ってもんでも ないよね。。難しい。
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映画『ぼくたちのムッシュ・ラザール』@アルテリオ映像館
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