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モダンスイマーズ『だからビリーは東京で』@東京芸術劇場 シアターイースト

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★【THE MUSICAL LOVERS】ミュージカル『アニー』
エンタメ特化型情報メディア SPICE by イープラス 連載更新情報

ミュージカル『アニー』連載
第42回(2022.1.12更新)
丸美屋食品ミュージカル『アニー』クリスマスコンサート2021 レポート~クリコン史上、初の全曲コンサート
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★Notice!
ブログはすべて ネタバレ です! ※当該内容を知りたくない方は、ご自身で避けてください※
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モダンスイマーズ
『だから
ビリーは
東京で』


2017年、ミュージカル『ビリー・エリオット』に関係する話だ、
と聞いて
観に行ってきました。

チラシが3種類あって かわいい!


わたくしは、
2017年の『ビリー・エリオット』5人全員 観ております。
エリオット・ハンナくんの『ビリー・エリオット ミュージカルライブ』上映も 日劇で2日連続観て、ブルーレイも買い
原作の映画『リトル・ダンサー(Billy Elliot)』も 観ています。
2018年には韓国でも観劇、
2020年の『ビリー・エリオット』も、4人全員+中村ビリーおかわりしました!



『だからビリーは東京で』は
「大人が、2017年のミュージカル『ビリー・エリオット』をたまたま観劇して云々」だ、という 前情報に
ラッパ屋『おじクロ』的サラリーマン新劇を 想像したのですが

場内に入り、
さっそく見えたセットからして 『ビリー・エリオット』でした。

若者が、『ビリー・エリオット』に感動して役者を志す、というストーリーの軸・・・
「このミュージカルは、人生を変える」
という ホリプロ『ビリー・エリオット』のキャッチコピーは、
このためにあったのか!?

しかもビリー公式 公認!


のみならず、
普通に 劇をしているフリをして
その中に
『ビリー・エリオット』のあれこれ
が・・・

ビリーに、そして、ビリーを演じる子ども(出ずっぱり 踊りっぱなし 歌いっぱなし)
の姿に 感銘を受けた主人公は、
役者を志す。
観たこともない劇団のオーディション、
受験者は自分1人、そして合格。

彼が自転車に乗って稽古場に通う図で タイトル
『だから
ビリーは
東京で』
が出るのですが
「この人は ビリーになって
どこかに飛び立つことはできない。
この地に残る ビリーの友人・マイケルである」という 暗喩に 感じてしまいました。
稽古場に通っていた自転車は コロナ禍以降 ウーバーイーツ配達のために使われてしまうし・・・

「ビリーはコロナ禍だったらどうなったのだろう」と 主人公は思いを馳せるけれど、
『ビリー・エリオット』で、ビリー以外の あの地に残った人々の その先は
映画でもミュージカルでも描かれませんが
サッチャーの政策によって、
炭鉱閉山→町は衰退→無職になった人たちが、アルコール中毒、麻薬中毒になっていったそうです。
それは今 職や産業を奪われるコロナ禍と 重なってしまう。

「ビリーはあの後 バレエ団で ちゃんとやっていけたのか」と問う主人公、
そのアンサーは、原作の映画『リトル・ダンサー(Billy Elliot)』結末にあります。

ビリーに感動し、とにかく自分も 演劇をやってみたい、という 押さえられない 動機があったのに
コロナ禍で行き詰まってしまう 主人公。
その時 1人入った カラオケの照明と動きが
「アングリー・ダンス」感いっぱい!

主人公の現実は、
コロナ禍の前から「大学、経済学部まで出してやったのに 役者?」「芸能人にでも なるのか」
コロナ禍では「田舎に帰って 親の手伝いをするのが 当たり前」「親に対して薄情」
そして いつも
「お前は何をやっても長続きしないじゃないか
子どもの頃 倒立だって やるっていって 続かなかった」と しつこいくらい
呪いの言葉を 投げかけて 故郷の長野に縛り付けようとする アル中の父親がいる。
まるでビリーのおじいちゃん(「グランマズ・ソング」に出てくる人)のように ろくでもない男。

ビリーの父親は 厳しくて 「なけなしのお金で ボクシングを習わせたのに」「バレエは女のやること」だ、と ビリーが躍ることに反対していたけれど
最後はビリーのために できる限りのことをして 誇りに思って応援してくれる。
「父親を変えるビリーに感動していた」ということに気づいてしまう主人公。
その瞬間の 残酷さ。

この劇団自体が ビリーの住んでいた炭鉱町ばりの 狭いコミュニティになっていて
演劇だけやることが「純粋」(=サッチャーの政策に反対してストライキをすることが「純粋」)
役を得るために行くチャラチャラした飲み会や
演劇を否定する事務所に入ったり 演劇以外でお金を稼ぐことは「不純」(=仲間を裏切り スト破りをして お金を稼ぐことは「不純」)とされる。
(まあ確かに コロナ禍で「絶対にバレない店」で
監督に呼ばれて行って
「行ったら役がもらえるかわからないけど、行かなかったら絶対もらえない」って クソですけどね)

さらに、
劇団を辞める
ということは 最大の裏切り。


コロナ禍で、
オンライン家庭教師が軌道に乗った劇団の役者・長井(男性)が、
劇団の役者・まみこ(女性)との同棲を辞め、
劇団も辞める、という時に
手切れ金を まみこ、劇団主宰、そして主人公にも渡す。
手切れ金っていうより、
女性には 借金があったので それを精算して
主宰には 団費の滞納があって(あれ?でも それは 女性が立て替えていたんじゃなかったっけ?)
主人公には 長井が「団費(年12万、月1万)の負担を減らすために 新人を入れよう」という動機で採用となったから
なのですが・・・

みずほ銀行の
封筒を
配りまくるシーン、

長井、『ビリー・エリオット』でいう
「スト破り」
だったんだ!


主人公は、「こんなのもらったら 演劇をやっていた意味が違ってしまう」と 固辞して
「うまくー 言えません 
言葉に できないー」
と「electricity」を 歌い出す
けれど
劇団の作・演出(津村知与支さま)だけは
ちゃっかり もらってるの
くっそ笑いました。

この劇団 なくなるかも?!、というときに お金を持ったままフリーズする
津村さま
めが。。。

わたくしの大好きな
「これも これも」からの スト破り大金持参場面が こんな爆笑シーンになっている
そのシュールさ!

ですが
一番 心 打たれた
『ビリー・エリオット』へのオマージュは

最後、
劇団を終わらせるにあたり、
「自分たちのことを演劇にしよう
観客はいなくていい」

と 作・演出の 能見が言う。
主人公の口癖「(役を)掴んだ!」を 本当に体感してほしい。

もちろん演劇は、観客がいて 成り立つものだけど

演じる喜び、
ビリーが感じた「electricity」を
電気のような 衝動と興奮を
あなた自身で 知ってほしい。


そう、
初めてバレエを体験した帰り、自分の影と踊った ビリーのように
自分の中から 「やってみたい」という欲求が 湧いてくるのが
演劇の根源
じゃあ ないのだろうか。
踊ってみたい、歌ってみたい、演じてみたい・・・
それは 人に見せることより 先にあると思う。

『だからビリーは東京で』には
自分はこの東京で何度でもやり直せる、故郷の父親の呪いを解くかのような
別のラストも用意されていたようで
(特典でついてきた台本に その幻のラストが描かれている)

だけど、本番の『だからビリーは東京で』は
「結局舞台に立てなかった彼と、何もできなかった劇団の話」を
自分たちの決算のために 自分たちだけのために ただただ演じる。

どうして自分が演劇をやってみたくなったのか、その衝動、その原点を 描くのが
不格好で すごく好きだ。

いいんだよ、誰にも認められなくたって。
自分のやりたいように生きていいんだ。
あなたがいたい、この東京にいていいんだ。

どうしようもなく 止められない衝動、
全てのしがらみから 自由になれる、
それは「演じること」だ。
「自分をなくすような 忘れるような 本当の僕になるような」・・・

最後、劇団の志望動機が 涙で詰まってしまう主人公。
それは本当に ビリーが発した
「うまく 言えません 言葉に できない」のように・・・

お金配りおじさんと化した 長井に対抗して 大声で歌っていた
「electricity」の歌詞は ここへのアンサーだったのだ!

今度こそ 彼は本当に「掴んだ」のでしょうか?


♪自分を 表現して 何が悪いの?(By マイケル&ビリー)

ビリーは 何千人もの応募者、しかも1~2年の長いワークショップオーディションで さまざまな角度から
ビリーかどうか 選考され続け、声変わりなどのチェックもされて 
ビリーを表現できる、と 版権元のお墨付きをもらった子どもたちで
さらには合格後も しっかり技術を指導され、成長してゆく。

いっぽう、この主人公がいるのは 応募者1人、合格者1人の劇団。

『ビリー・エリオット』のチケットは1万円以上、
小劇場のチケットは3000円前後。

でも どんな小さきものだって 
未来ある子どもではなく 愚かで情けない大人だって
表現する自由があり、
本来、小劇場は、その場所なはず。

何万円と何千円、どっちの演劇が心を打つかわからない。
一日100公演以上が上演される東京は、宝探しのような場所。

どんな内容かも知らず、ふと手にしたチラシ、目にした情報で
ふらりと行った演劇が 自分にとって大当たりかもしれない。

自分達が本当に好きで面白いと思っていることを表現している、
有象無象がひしめく東京。

だけど、コロナ禍で その機会は消え、
幾人かの演劇人の言葉は批判を浴び、
ましてやコロナを出したら社会的死、みたいな扱いになった。
(「お客様のために 1人も帰さない」という大義名分で
消防法を無視して ぎゅうぎゅうに詰め込まれなくなったのだけは 良かったけど・・・)


何か食べて帰る、街を散策する、ましてや飲んで帰る
なんて 「演劇を守るために」してはいけないことになり、
「演劇を観られたらいい」「上演できたらいい」
と思うしかなくなり
それでも 観る側・やる側のリスクは ゼロにできない。
消毒などのコストや中止の可能性と隣り合わせ、
あまりにもコロナの現実と向き合わされる。
メンタルがやられ、別の生き方を見つける人も 多かったと思う。

劇中の お金配りおじさん・長井(『ビリー』でいう スト破り)
は 家庭教師に 自分の道を見つけた。

この劇では「演劇を辞めたい」という人、
それよりも大事なものができてしまった人、
それが お金であろうが 恋人であろうが 
生きがいや やりがいが 他に見つかってしまった人は
「人が変わった」みたいに揶揄されていたけれど
結局 この劇団は 続けられなくなった。

観ている側だって そうだ。
このコロナ禍で 「演劇から『ライトな層』が消えた」というのを聞いたけれど
行かれない人を『ライトな層』と くくることが イヤだった。

自分や家族に持病がある、
東京以外に居住地がある、
コロナで収入が減った、職を失った、
外出に不安、
いろんな事情があるのだ。

チケット代は高くなり、こちらにだって往復やら隣席からのリスクがある。
某作で、客席からコロナ患者が出たときには、「まともな演劇」と自認する人たちが「あれは演劇じゃない イベントです」と分断して済ませていたけれど
もちろんガイドラインを無視した ぎゅう詰め、客席降り、ルールを無視した接触があったようだけど、ただ単に座って観ていた人の中にも 感染者はいたわけで
「どういう運営、どういう演出、どういう換気か 行ってみないとわからない」以上、
万が一のことがあって 「まともな演劇」に迷惑をかけたり
感染経路を明かされて 叩かれることの 恐怖心で、
圧倒的に演劇を観られなくなってしまった。


みんな、いろんな事情を持って 演劇とかかわっている。
その結果を 誰がくくれるのだろう。

演劇は
自分と家族の健康に心配なく、お金があり、移動のリスクが少ない、
メンタルが強い人だけのものじゃ なかったはずだ。



劇中のセリフに 『ビリー』のキャッチコピーと真逆のセリフがあった。
「勝手に手を上げてお客さんを巻き込んでいる」
そうなのだ。やっている側に
「このミュージカルは、あなたの人生を変える」とか
「全てはお客様のために」とか
「誰かの人生を変える芝居を作りたい」とか そういう類のことを言われるのって
(そういう気概自体を否定しているんじゃなくて)
こちらが、芸術という表現から感じ取ったものを 
そんな言葉の中に押し込めてくる 
恩着せがましさ、押し付けがましさ、上から感に モヤっとしてしまう。
私が受けた感動やビリビリや衝動は、そんな言葉の型にはまらない。
そもそも、演劇だけではなく、ひとつ歯車や選択を違えれば 人生は変わるもの。
『だからビリーは東京で』は、
「このミュージカルは、人生を変える」というキャッチコピーの通りでもあるし その逆でもあった。

「勝手に」やっていることに「お客さんを巻き込んでいる」。
「終わった後 拍手も起きない」(どこで終わったか わからない)
前衛的(?)な 内容の劇団。
団費は 年12万、月1万。

結構な団費 取るんだな
と思うけど、自前の稽古場があるだけ マシですよね。
この劇団を作った 女性2人(まみこ と のりみ)の会話
「キャラメルボックスが好き」
「劇団 じゃなくて 演劇集団 がいい」
「名前は 演劇集団キャンディブックスがいい」

演劇集団キャラメルボックス
演劇集団キャンディブックス

さては・・・
この 稽古場
加藤ビル オマージュですか?!
チラシのイラストは、GEN’S WORKSHOPで お願いします!

この劇団 いや 演劇集団を作った
まみこ と のりみ、
「まみのり」と周囲から言われる2人の女性。
のりみ「いろんなものを まみこに先に取られてきた」「まみこは、私が先に言ったことを泥棒して 先にやってしまう女」
まみこ「ずっと
ドンくさい のりみの 面倒を見て引っ張ってきた 
大変だった」

のりみが初めて好きになった男性・長井(=お金配りおじさん)は
まみこと付き合い、同棲している。
だけど、コロナ禍で のりみと長井は 毎日LINEで 励まし合っていた。
他愛もないそれは まみこにとって 浮気よりも強烈だった。
人と接触することがリスクになり、稽古・公演はできず、劇団会議はZOOMになった
のりみにとって 一人暮らしの闇や不安を解消するのは LINEのやりとりのみ
だったのですが、
その相手が まみこ ではなく 長井で、
LINEの内容が恋愛ではなくとも まみこと長井の間には無い 心のやり取りがあったのでしょう。

いっぽう主人公は かえ、という劇団員(韓国人の彼氏がいる女性)に 溺れた。
その女性は コロナ禍で 彼に会えずにいた。
(その前に 彼女の家に遊びに来た韓国の彼が 湯豆腐を出されたとかで
おもてなしの料理が足りない、と すごく傷ついたというのを
電話で話しているのが めちゃ面白!)

次回作書けない 作・演出の能見(津村知与支さま)は
ZOOMで オーディオのボタンが押せていなくて 声が出ず
ジェスチャーのみになってたり
すぐ フリーズしちゃったり
そもそも めちゃくちゃ 声が小さかったり
最高でした。
それに対抗する誰かの大声が 
東京ホテイソンか インディアンスみたいな口調で 面白かったんですが
どこだったか思い出せない・・・


世界で上演される ミュージカル『ビリー・エリオット』のスケール感とは
うらはらの、小さな小さな世界、
団費払えない、劇団内恋愛、次回作書けない、
小劇場 あるある 早く 言いたい
みたいな 内容
も いっぱいでした。



さて、終演後は アフターイベント(トーク)がありました。
蓬莱竜太さま(作・演出)さまと 能見役・津村知与支さまは 専門学校時代
バイクの2ケツで 通う仲 だったそうですが
「今は 知り合い以下」という話、

蓬莱さま(だっけ?)の 演劇を続ける理由は
「やめないだけ」という 衝撃の告白、
(だから 劇中「せっかくここまでやったのに もったいない」とか言うのか~)

津村さま、ポツドールの三浦大輔さまと同じ高校で
「文化祭で一緒に劇をやって ぼくが最優秀男優賞を取った」
と 誇らしげに話してるのも
めちゃくちゃ面白かったです。

「モダンスイマーズ、過去作 何回か観たけど
ヤクザにモノを渡す劇団というイメージしか なかった
のですが、
こういう作品も あるんですね」
と 帰宅後 ご主人さまに話すと
「蓬莱竜太さまは いろんな作風を書ける人ですよ」
と 言われてしまいました。
え、そうなの?!

あっ
劇団HPにも「作品ごとに全く違うカラーを提示しながらも多くの人々を惹き付けるドラマ性の高さ」って書いてあった!
失礼しました!


アニーにあこがれるわたくしも いつまでも アニーを目指す 所存です!

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